ママ友は「境界線」を引けると楽になる

1人行動が楽で、保育園から就職するまで極力ぼっちを貫いてきました。

就職した会社でチームワークは求められるものの、営業職なので基本外回りの単独行動。

そして寿退社。

コミュニケーションについては色々と未履修のまま、家庭に入ってしまいました。

 

外に働きに出ず、住居がある地域を拠点とした子育てはまさしく女社会。

子連れでママ友と集まったり、習い事教室や公園、幼稚園などでママ達と世間話をする時は、

よほど気心の知れた仲でもなければ緊張の連続でした。

とにかく話題選びが難しい。

「この人の地雷ポイントはどこだろう?」

と考えると、前職や出身地、家族やお出かけの話題もなかなか振るのが憚られます。

何故ならそこから職業スキルの有無や親族からのサポートの有無、娯楽費格差といったデータが透けて見えてしまうから。小さな子どもの育児中は特に親の行動が制限されて、親の欲求が満たされにくいため、少しでも自分より時間的、経済的に自由度が高い家庭の存在を目の当たりにすると心が波立つ人が多いように感じます。これは私自身もそうでした。

 

そして、面倒くさいことに察する、気遣いがとにかく求められるなあと思いました。

ママ友同士は、たとえ相手が気に食わなくても、わが子が不利益を被ることはなんとしても避けたいわけです。

そこで表面上は笑顔でニコニコ挨拶。

でも心中では完全にシャットアウトされてたりします。

まあ所詮一時期の関係と割り切ればそれでも良いかと今は思えるのですが、子どもの友達を増やすのは母親の努力と思い込んでた時期はママ友作り、ママ友に嫌われないことに必死でした。

この時期は相手の顔色を伺う毎日で、本当にしんどかった。

でも本で以下の文章を読んでとても楽になりました。相手と自分の境界線をきちんと引くこと。自分の領域に責任をもつこと。

アドラー心理学にも似たような考え方があったように思いますが、すぐ相手に感情移入してしんどくなる気持ちを守ったり、察してちゃん傾向にある私自身を律するにも役立つ考え方でした。

 

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「境界線」の問題とは何かと言うと、それが「自分の問題」なのか「相手の問題」なのかが分からないということ。(中略)

本来、自分がどんな気持ちであるかがわかるのは本人だけですし、どうしてほしいか伝えるのも本人の責任ですね。それを勝手に顔色を読んで、「不機嫌なのではないか」「本当は⚪︎⚪︎してほしいのではないか」などと気を遣ってしまうというのは、一見相手のことを考えているようですが、実は相手の領域に踏み込んだ姿勢です。(中略)

それぞれがある程度自覚して、「これはあの人の問題として尊重しなければ」「気になっても手を出さないようにしなければ」「あの人にはあの人の考えがあると認めなければ」などと境界線を守ろうと努力しているものです。

 

(「怒らない子育て」水島広子先生著)

 

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乱暴な言葉を使えば、

「相手がどう思おうが自分のことじゃないから、知ったこっちゃない」

ということですかね。

勿論人とした最低限の気遣いは欠かさないようにしたいと思いますが、自分がしんどくなってイライラしてはもったいない。

そしてママが子どものために友達をたくさん作ってあげるより、

難しい人、自分と合わない人との接し方を身をもって示したり、伝えてあげるほうがずっと子どもにはプラスになると今は思ってます!